金工芸作家 インタビュー金工芸作家
インタビュー

奥山峰石 <人間国宝>

――金工芸の道を選んだきっかけをお聞かせください。

私の家は貧しかったもので、15歳の時には家を出て働かなければなりませんでした。東京に行けば仕事があると紹介されたのが鍛金家の工房だったのです。鍛金はまず木づちや金づちでひたすら“叩く”ことを教えられます。そのうち手が感触を覚えて、あてがねを使ってものを作ることができるようになります。当時、スプーンやフォークはすべて手作りでしたから、初期の頃は銀食器などをずいぶん作りました。

――鍛金の職人となる決意をされたわけですね?

20歳くらいまでは何度も辞めたくなりましたが、ある時、「一代一職」という言葉に出会い、「自分の道は鍛金かもしれない」と思い、真剣に修行に励みました。そして、結婚したのを機に、独立したのが27歳の時。でも、苦しい生活は相変わらずで、ともかく依頼があれば何でも作りました。小さな指輪の台から大きな優勝カップまで。その頃、あらゆるものを作る経験をしたことで、職人としての自信がつきました。

――金工象嵌(きんこうぞうがん)を始められたのはいつからですか?

作品の図柄となる樹や花は自らの手でデザイン。

40歳を過ぎてからです。仕事の商品とは別に、自分自身の作品を作りたくなったのです。鍛金の技術を生かしたものはできないかと思い、金工象嵌(きんこうぞうがん)に興味を持ちました。象嵌とは、ある素材に別の素材を象(かたど)って嵌(は)め込む技術ですが、金、銀、銅をうまく組み合わせると、まるで絵を描いたような作品が出来上がります。自然の風景、洋服の柄、古い屏風絵など、あらゆるものがモチーフとなるので、ものを見る目も変わりました。一つの作品の完成に何年もかかりますが、金工で樹や花を描くことが楽しく、もう30年以上続けています。

――その素晴らしい作品と技術が認められ、人間国宝に認定されました。

文化庁から連絡をいただいた時は、「なぜ自分が?」という驚きだけでした。妻に話をしたら、「お金がかからないのであれば、ありがたくいただいたら」と言われました(笑)。妻には苦労ばかりかけましたので、少しは報われたのかなと思います。この道に入って60年経ちましたが、つねに作り続ける日々は変わりません。ともかく作っていないと、次にやりたいことも浮かばないのです。テーマを探し、構想を練り、後はひたすら手を動かす。きっと、これからも私は叩き続けると思います。

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