金工芸作家 インタビュー金工芸作家
インタビュー

石川光一 <石川工房三代目>

――金工芸の道を選んだきっかけをお聞かせください。

小さな頃から工房に出入りし、祖父の仕事を見ていました。そのうち、祖父が手ほどきをしてくれて、作ったものを褒めてくれるのがうれしくて。職人になることにはまったく迷いはありませんでした。高校を出たあと、しばらく家を離れて修行することにしました。そこには兄弟弟子が10人ほどいて、辛くて途中で辞めていく人もいましたが、自分はともかく好きで、仕事も楽しかったので、苦労話があまりないんですよ(笑)。

――修行時代はどのようなことをするのですか?

まずは掃除です。金工芸の場合、材料が「金」ですから、飛び散った金粉も大切にしなくちゃいけません。新聞紙をぬらして金粉をかき集めて、すみずみまで掃除をするのが基本です。それから、金についた傷を炭でこすって消す“炭とぎ”を覚えます。実際にものを作るようになっても、最初は銅や銀から始めるので、金に触れるようになるまで5年以上かかることもあります。何より技術を磨きたくても、高価な金を使って練習することができません。金工芸の職人が少ないのはそういった背景もあるのです。

假屋崎省吾さんプロデュースの作品「牡丹」

――金工芸の職人に必要なものは何でしょう?

技術を身に付けたら、その次は、いかにいろんなものを目にするか。工房にこもってばかりいたら、新しいものは作れません。遊びを文化と思うか、ムダと思うかで、作るものが変わってくるでしょう。人との出会いも大切です。自分は華道家の假屋崎省吾さんに会って、「生きている花」の素晴らしさを教えてもらいました。假屋崎さんの生け花を再現した作品「牡丹」は、とても苦労しましたが、やりがいのある仕事でした。

――石川先生が作る作品は、ユニークなものも多いですね。

浅草の職人は遊び心がないといけませんからね。伝統は進歩につながってこそ生きてくると、私は思っています。かつては、川を渡る人を肩車で運んでいた。その後、技術が進んで、車や飛行機やロケットができた。人を運ぶという点では同じなのに、伝統=肩車になってしまう。金工芸も、今の人たちに使ってもらわなければ意味がない。受け継いできた技術を生かしながら、今の人が欲しいと思うもの、そばに置きたいと思うもの、そんな作品を作っていきたいと思います。

初夢をモチーフにした額は、遊び心ある作品のひとつ。

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